謎の彼女X

日本にいるころに読みきりの0話をよんで非常に印象に残った作品だったけどもう1巻がでるのですね。ディスコミのころから植芝 理一は毎回checkする作者だったけど、今回のこれはピカイチだと思う。夢使いよりキャラがたってますね。
          

このお話は中学生同士の淡い恋愛のお話がベースにあるのですが、それにいかにも植芝 理一的な強烈なスパイスがかけられてあります。具体的にあげると

1)彼女(卜部美琴)が変人  
2)フェティッシュな要素満載 (よだれとか、パンツにはさみとか、)

ガキンチョの恋愛ストーリーにfocusする場合どちらかをちょっと変なキャラにするのは良く見られるパターンです。ディスコミもそうですし、最近ではアフタヌーンに連載されていたラブロマがあります。


ぼくは個人的にはこの謎の彼女Xが読みきりから連載化した理由のひとつにラブロマがある程度人気を博したことがあげられるのではと考えています。アフタヌーンのようなどちらかといえばコアな読者向けの月刊誌でラブコだけで突き進むのは以前ではめずらしかったといえます。


いまのところこの謎の彼女Xでは夢使いにでききたように精神世界への突入や密教、宗教がらみの描写は少なく、意図的に押さえているようにおもわれます。(これからでてくるのでしょうが、、)なので一般の人に入りやすくなっているのではと思います。その分以前からの読者には物足りないかも。


このまま2人だけの話として展開するなら長編として続けるのはちょっと難しそうですが、まあ今後が楽しみです。卜部さんの顔は植芝先生としては新境地のキャラデザインのように感じます。そのためまだ作者にも描きにくいのかいつも目を前髪でかくしてます(話の設定上そうなってはいますが、、、)。とにかく卜部さんのキャラは彼の作品中いままでで一番すきです。





            ↑この顔がよい





   

 ルサンチマン 小学館   花沢 健吾           

               

雑誌連載中に、ルサンチマンという題名に目をひかれて読みました。


この言葉を最初に知ったのは学生時代、哲学の授業だかなんだかで知りました。ニーチェだったかな。結局よく意味はわからなかったんですが、要するにじとっとした恨みの感情(もてないもの=労働者がもてるもの=貴族に対して抱く妬みまじりの憎しみ)と理解していました。


二度目に目にしたのが怨念戦隊ルサンチマンという自主制作映画でした。(山本寛さんも神前暁さんもいまや涼宮ハルヒで有名人ですね)これはオタクどもがカップルに腹いせするような内容だったわけですがこの漫画でも主人公がデブ、チビ、ハゲ、眼鏡のあまりにもどうしょうもない設定になってます。
しかし作中では題名のように恨みの感情を主人公が誰かに対して持つわけではなく単にもてない度合いを強調するためにつけられた名前であろうと推察されます。


主人公=たくろうは現実世界で彼女を作ることをあきらめ、仮想現実にはまっていきます。ギャルゲーがここまで一般化している現在、かなりスムーズに主人公に感情移入できるのではないかと思います。ここで出てくるMMORPGアンリアルはなかなかよくできています。近い将来現実でも似たようなものがでてくるのではないかと思います。(もうすぐときめきメモリアルOnlineというのが出るらしい。)


このたくろうがネットに入り込んでいる最中を現実から描写するシーンがたびたびあって笑うべきところなのですがどうにも笑えないんですよね。 非現実にひきこまれて堕落していく様の描写が秀逸で、“わかるよ、わかる”って感じですね。それに月子というキャラクターもなかなか魅力的にかかれています。個人的には3巻の髪の黒いのがgood


さて材料として非常におもしろいものをそろえてはいますが、ストーリーは終盤でどうも収集つかなくなった感じです。中盤まで面白かっただけにちょっと残念です。(打ち切りだからしょうがないといえばそれまで、、)この作者にとっての最初の長編作品なので、もう少し経験をつんでこれをかいたらもっとすごいものができていたきがします。エンターテイメントとしての完成度はあまり高くはないのですが、個人的に大好きな漫画です。


下記のレビューが非常にすばらしいです。
    http://mangaen.blog30.fc2.com/blog-entry-70.html

イリヤの空、UFOの夏

一言でいうと最彼(サイカノ)をより洗練させた感じかな。ぼくはこっちの方が断然好きですがね(後発だからしょうがないか)。
前半のほんわかした学園もので読者のハートを捕まえておいて、後半の怒涛の鬱展開。


戦時下の学校、綾波チックなヒロイン、加持さんみたいな兄ちゃんとおなじみの設定。
結局どういう戦争をしているのか、どうなって決着したかは一切語られず、視点があくまで伊里野加奈(キミ)と主人公の少年(ボク)の関係にFoccusされている点、彼女を選ぶか人類が滅ぶかといった極端な二者択一。まさにセカイ系はこの作品で極まった感じです。(セカイ系という言葉自体現在定義についていろいろ議論されているみたいなので安易に使用しないほうがよい気はする)


最後に伊里野が出撃するシーンは戦時中の特攻隊員のそれとかぶる部分があるのではと思います。
笠井潔のレビューにも引用されていましたが、自分が死ななきゃいけなくなったときの理由付けをはたしてどうするのか?天皇陛下大東亜共栄圏のような理想や信条ために死ねるのか?愛する家族やふるさとのためと考えればどうか?この作品では少年少女の青臭い(失礼!)恋愛にすべて帰着させてはいるのですが、みせかたはとても上手です。


伊里野の周りの大人の立場のほうにも感情移入できます。奪うために与える子犬計画、、ひどい話ですね。

自分が中高生のころに読めばもっと感動できたろうにと少し残念です。でもこれはお勧めです。


アニメにもなりましたが、小説のほうがずっといいです。(アニメのCVは一条さんです。)

最終兵器彼女

「いいひと」であまりいい印象をもってなかったこの作者ですが、セカイ系の代名詞のように言われている作品なので読んでみました。正直いって予想よりかなり面白かったです。「世界の中心で愛を,,」みて感動できた世代の人々には受けそうな作品です。あえていまひとつの点をあげると詳細な裏設定を省略しすぎのところでしょう。作者はあえてこの説明を省いた(あるいは最初から考えてない)としてますが、ラストがああなるならもう少し説明がほしいのは私だけではないと思います。あと人が息を引き取る間際のシーンだというのに笑わせるような会話をいれる傾向があるのはどうかと思いました。でもまあ面白かったです。

最近日本では飲酒運転と公務員のコンボで叩くのがマスコミで人気のようですね。なので今日は飲酒運転について。

アメリカでは飲酒運転、具体的にはDUI(driving under influence)の状態で警察につかまるとその場で現行犯逮捕され、監獄にいれられます。また4回飲酒運転でつかまると殺人罪と同様の罪が課せられます。飲酒運転で悪質な死亡事故をおこした場合は州によっても異なりますが、殺人と同様の罪にとわれます。このように日本に比べて厳しい処罰となっています。


ところが上記のような情報を踏まえてこちらにきて、さぞかし誰もお酒をのんで運転なぞしないのだろうと思っていると、なんとこちらではかなりの数のひとが飲酒運転しています。アルコールの出る公の集まりですらみんな車で帰っています(みんなというのは語弊がありますが、みたかぎりかなり多くのひとが)。飲酒、アルコール規制にきびしいアメリカ人がなぜこのように飲酒運転するのか?を考えてみました。


日本のアメリカの事情の違い

1)交通手段のちがい
街全体がコンパクトな日本では歩いてコンビニに行ったり、チャリでちょっと買い物ができますがアメリカでは車でしばらく走らないとどこにもいけません。公共交通機関は発達しておらず、なにをするにも自家用車です。タクシーも街中以外ではつかまりません。それに自転車やバイクや歩行者といったものがほとんどいません(移動手段として貧弱あるいは危険で使えないからです。軽自動車さえありません。)したがってみんな車で移動。事故も車と車です。


2)道路状況の違い
アメリカの道路は日本に比べて一般的に広く、対向車線が完全に分離帯で分かれている道が多いように感じます。また交差点が圧倒的に少なく、信号で止まることもすくないです。

1)とあわせて交差点で歩行者や自転車を巻き込む事故がまずありません。アメリカ人の運転は非常に荒く、へたくそです。にもかかわらず、すごく飛ばします。日本ならまずすぐに事故につながるような運転ですが、それでも何とかなるのはこのような理由によります。


3)飲み会のあり方の違
日本でお酒のでる夜の集まりといえば居酒屋などイスに座る、あるいは座敷でくつろいで本格的に飲むことが多い。その点こちらでは立食パーティーなどで立ったままグラス片手に談笑が基本です。つまり日本では泥酔になりやすく、アメリカではなりにくいといえます。
レストラン等では食事がメインであり、飲み物は食前酒としてたしなむ程度。また食事の量が膨大でそれだけで腹が膨らむので飲む過ぎになりにくい。バーは別として日本の居酒屋のように酒を飲むために特化したつまみメニューをおいている店はありません。


4)酔い方のちがい
サラリーマンのおじさんや若者が駅のホームで酔っ払って寝ていたり、ゲロ吐いたり、千鳥足であるいたり、日本の繁華街では週末の夜になるとこのような酔っ払いをよく見かけますが、こちらではまったく見かけません。酒に対する民族的な強さの違いもありますが日本人は無防備に酔いすぎです。こちらでそんな状態だと身包みはがされるか、警察に連れて行かれます。


5)検問
アメリカは自己責任の国なので酔って運転して事故を起こした場合は重い罪がかせられますが、日本のようにいちいち渋滞まで起こして飲酒の検問などしません(注)。ただし蛇行運転など見た目に危ない運転をしていればすぐにつかまります。したがって飲んで運転する人は必要以上に慎重に制限速度を守って安全運転するそうです。金曜の夜なぞはそんな感じの車が多い。
(注:ハワイではやってました。州によって違うようです)


以上まとめるとアメリカ人に飲酒運転が多い理由としては、
・車にのらないとどこにも行けない。
・飲み会でもそこまで酔っ払わない。
・酔って注意力が落ちることで危険性がます交差点での事故がすくない。
・飲酒検問がない

           などがあげられます。


両国の取り締まりのあり方の違いをみていると日本ではとにかく一滴でも飲んだらだめの方向ですべて厳しくとりしまろうとしていますが、アメリカでは事故を起こさないように自己責任で飲めという印象をもちます。(もちろん飲んで運転していいなんて公言していませんが。)
悪いのは酒を飲んで運転すること自体ではなく、事故をおこす事という認識なのだと思います。アメリカが飲酒運転と定めている血中アルコール濃度0.08%というのはかなり高い濃度です。ビール一本程度なら事実上OKなわけです。
日本では酒気おび運転の定義が呼気中アルコール0.15mg以下にさらに厳しくなりました。つまりちょっとでも飲んだらだめの方向に押し進んでいるわけです。


なにが言いたいかというと、事をおこせば厳しく対処するがそこまで取り締まりはしないアメリカにくらべ、ひたすら取り締まりを厳しくする方向にすすむ日本に個人責任に対する考え方の違いを感じたわけです。

その他の犯罪にしてもそうですが、最近の日本人には程度がわからない、自己をコントロールできない人間が増えているように思います。だから行政やシステム側にすべてを規制してもらわないといけないのでしょうね。規制されると安心する、逆に責任をそちらに丸なげしているようにもとれます。


一般に規制の強化は一定の効果はあっても本質的な解決ではありません。きたないものの出口をより強く縛っているだけです。逃げ道から噴出すか、爆発します。なぜ汚いものが作られるのかの原因解決になりません。


大事なことはアルコールに対する理解を徹底させること。個人のモラルや自己管理の能力の養成するために具体的な方法をとること。アルコール依存と自覚していない人間にそれを自覚させ治療することが大事ではないでしょうか?意識がなくなるまで飲むという日本の飲酒習慣は完全にアルコール中毒です。


たとえが悪いかもしれませんが、アメリカのスーパーでは賞味期限ぎれの食品やすでに傷んだ野菜など平気で店頭にならんでいます。日本なら客が目を吊り上げて店に文句をいうところですが、こちらではそれを選んで買う客のほうが悪いという発想になります。
厳しく規制してもらわなくとも個人が自分で判断し、行動に責任をもてるような世の中になればいいと思います。


(この文章では酒気おび運転と酒酔い運転を区別せずにかいていますが、本来この二つに境界なんかはありません。酒を飲めば多かれ少なかれ身体能力に影響がでます。適当な主観的判断で区別するのはどうかとおもいます。)

もともと、視聴者層(子供や若い女性)に合わせるために出演する芸人の本来の芸風とはかけ離れたネタをさせる事も多いこの番組だったが、このたび日本あざみ党なる芸人が登場して話題になっている。

動画も見てみたがたしかに鳥肌実に芸風が似ている。
(まさに一般向けに劣化コピーさせたような)

パクリだの何だの騒がれているが聞くところによるとネタの内容も放送作家がつくり、鳥肌っぽくするのも番組側の意向のようだ。

パクリと騒がれる事で話題になる。それも狙いのようだ。
弱小な芸人の弱みに付けこむテレビ局。また自分の芸を歪曲させても大衆電波にのりたい中年芸人の悲哀をかんじますね。
芸人の道はきびしい。

毎日新聞記事

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/m20060906k0000e040019000c.html

秋篠宮さまと30年来の友人で、秋篠宮さまが設立にかかわった「生き物文化誌学会」理事の緒方喜雄さん(42)「秋篠宮さまからはいつのことか覚えておりませんが、3人目のお子さまが欲しいというようなお話を承ったことがございました。



上記の記事をみると3人目の御懐妊はあたかも以前から望んでいたことで今回の皇範典改正などの騒ぎとは無関係だと思わせたいようですね。


この事自体はおめでたい事なんですが、皆様のブログをみているとこの国はまだまだ戦前と同様のおそろしい状況なんだなと実感しました。国家のためには個人の犠牲は当たり前なのですね。

このnationalismの高揚がよいほうに向かうことを祈ります。